2012年 06月 28日
京都へ ④大報恩寺(千本釈迦堂)
上七軒から、またまた徒歩で大報恩寺(通称:千本釈迦堂)へ。
こちらが入り口です。
大本堂です。
こちらは1227年義空によって創建されました。
応仁文明の乱などでも焼けることなく残った京都最古の仏堂建築だそうです。
本堂の手前におかめ塚があります。
「本堂を造営する際、大工の棟梁であった高次が代りのない柱の寸法を切り誤ってしまい困っていた。それを見た妻のおかめが枡組を用いたらどうかとひと言アドバイスし、その結果無事に竣工させることができた。しかしおかめは女の提案で大任を果たしたことが知れてはと上棟式を待たずに自害してしまった。高次は妻の冥福を祈り宝篋印塔(おかめ塚)を建て、おかめの名にちなんだ福面を付けた扇御幣を飾ったとされる。その後、大工の信仰を得るようになり今日でも上棟式にはお多福の面を着けた御幣が飾られている。 度重なる戦乱にも残った本堂とも結びつき厄除、招福のおかめ信仰につながっている。」というおかめの物語があります。(ウィキペディアより)
ぼけ封じ観音像です。
おじいさんとおばあさんが足元にすがっている姿が目をひきました。
私もぼけないように気をつけないと。
こちらが入り口です。
大本堂です。
こちらは1227年義空によって創建されました。
応仁文明の乱などでも焼けることなく残った京都最古の仏堂建築だそうです。
本堂の手前におかめ塚があります。
「本堂を造営する際、大工の棟梁であった高次が代りのない柱の寸法を切り誤ってしまい困っていた。それを見た妻のおかめが枡組を用いたらどうかとひと言アドバイスし、その結果無事に竣工させることができた。しかしおかめは女の提案で大任を果たしたことが知れてはと上棟式を待たずに自害してしまった。高次は妻の冥福を祈り宝篋印塔(おかめ塚)を建て、おかめの名にちなんだ福面を付けた扇御幣を飾ったとされる。その後、大工の信仰を得るようになり今日でも上棟式にはお多福の面を着けた御幣が飾られている。 度重なる戦乱にも残った本堂とも結びつき厄除、招福のおかめ信仰につながっている。」というおかめの物語があります。(ウィキペディアより)
ぼけ封じ観音像です。
おじいさんとおばあさんが足元にすがっている姿が目をひきました。
私もぼけないように気をつけないと。
by brazo_de_gitano
| 2012-06-28 10:36
| 旅行